チャンスは一度
神経質そうなノックが二回、体育教官室のドアを鳴らす。 兄貴は慣れた手順で『炎多留』を終了させてから、声を上げた。 「入れ」 「……失礼します」 ノックの印象と同じ、張り詰めたような硬質な声が聞こえてきた。 珍しいこともあるものだ、と兄貴は椅子を回転させ、入ってきた人物と向き合う。 薄暗い部屋に入り込んだドア向こうの光に、兄貴は少しだけ目を細めた。 そこに立っていたのは予想通り、マサムネだった。 ただ、予想と違っていたのは、マサムネが一人ではなかったということだ。 マサムネは意外にもワタナベを連れていた。しかも何故だか、その手と手がしっかりと つながれている。しかし、まさか、この二人に手をつないで歩くほどの接点があったとは……。 「驚いたな」 思わず兄貴がつぶやくと、マサムネは甘さのない瞳に、わずかに困惑を滲ませた。 「廊下で偶然拾ったんです」 「拾った?」 マサムネの言葉に、兄貴はまじまじとワタナベを見上げた。ワタナベは残念ながら廊下 に落ちているような人間ではない。理知的でステキな隙のない生徒会長様なのだ。 しかし今、ワタナベはマサムネに手を引かれたまま、隙だらけでニコニコと笑っている。 明らかにおかしい。 兄貴の不信を感じ取ったのか、マサムネが嫌そうに言った。 「変ですよね。でもこの間抜け面で廊下に座っていたんです。発見場所が辺鄙な所だった ので他の生徒には見られてないかもしれませんが、バレたら事です。生徒会長の頭が退化 して使い物にならなくなったかもしれないなんて。……というわけで、先生のところに 連れてきました」 容赦のない直接的な言葉に兄貴は苦笑したが、確かにこれはオオゴトである。 どう見てもワタナベは幼児化している。間違いない。 ワタナベは自分のことを言われていると気づいてもいないのか、周囲をきょろきょろと 見回している。しばらく兄貴がその様子を見ていると、今度は今気がついたとばかりに、 じーっと兄貴の顔を見つめ返してきた。 「あ、兄貴センセだった! またゲームしてたの? ダメだよぉ、お仕事しなきゃ」 ワタナベは小首をかしげながら、楽しそうににっこり笑った。 その様子に、マサムネは鼻白んだように皮肉な笑みを浮かべた。 「……とにかく、置いて帰ります。コレ、あとはどうにかしてください」 言い捨てて、きびすを返そうとしたマサムネに、ワタナベが声をかける。 「マサムネたん! お外に行くなら頼みたいことがあるー」 その声に、仕方なくというように振り向いたマサムネは、ワタナベの言葉の続きを促した。 「なんですか」 「あんね、キノコ、買ってきて欲しいの」 「……きのこ……?」 「うーんとね、ほんとはマツタケがいいんだけどね、ないかなぁ。あるかなぁ。  なかったら、エリンギでもいいよ? カサが広がっているのがイイし、太さもちょうど  イイしね? お願い!」 「はぁ……?」 ワタナベはマサムネに向かってお願い、お願いと繰り返した。 兄貴は「今日は珍しいものがたくさん見られるな」と傍観者を決め込んでいたが、困った ように視線を泳がせはじめたマサムネに、自分の財布から千円札を投げてやった。 「スーパーもすぐそばだ、買ってきてやれ。それまでワタナベは預かっているから」 「……はい」 どこか不満げに千円を拾ったマサムネは、いつも持参しているのか、白い封筒にその お金を入れた。几帳面である。彼は兄貴に軽く一礼してから、二人に背を向けた。 その後ろ姿に手を振っていたワタナベは、マサムネが出て行ってしまうとニコニコした 顔で兄貴を振り返った。 「マサムネたん、キノコ買ってきてくれるみたいだね、よかったぁ」 「キノコってなんだ?」 「えへへ、秘密。すぐわかるもん」 ワタナベが楽しそうに手を広げて笑った。 兄貴は椅子に座ったままその笑顔をぼんやりと見上げた。無防備で天真爛漫なその笑顔。 整った男の顔に無邪気な笑みが浮かんでいる様子は、その違和感がなんとも言えない 可愛さを作り出していた。 ワタナベのこんな笑顔を見るのは、兄貴もはじめてである。 普段のワタナベも笑みを絶やさない温和な人間であるが、その瞳の奥ではいつも冷静に 周囲を見つめていた。 ――しかし今は、いつでも彼の顔から消えなかった鋭い理性が見えない。 ……これは、 もしかしなくても、 美味しいかもしれない(−_−) ――普段は難攻不落な男に○痴プレイができるのだ。男のロマンである。 一度はしてみたかった白○プレイ。しかもワタナベが使用可能。これを逃しては一生 後悔する。 瞬時にそう判断した兄貴は、早速思いつきを実行に移した。 「ワタナベ、ちょっとこっちにおいで。先生のお膝に乗ってごらん?」 「え? なにすんの?」 「マサムネが帰ってくるまで暇だろう? 先生と楽しいこと、しよう。ほら、前から  おいで。先生の首に手を回すんだ」 不思議そうにしながらも、おずおずとワタナベが兄貴の膝の上に乗ってきた。硬い臀部 の感触に、兄貴は歓喜を覚えた。 少しだけ見上げればあどけない表情を浮かべた美貌。このアンバランスさは本当にたま らない。 「……ねぇ、センセ」 胸のあたりを服の上からまさぐり始めた兄貴に、くすぐったそうに身をよじりながら ワタナベが声を上げた。 何か言いたそうな呼びかけを聞き流し、兄貴が無言でゆっくりと服の下に手を入れると、 ワタナベは抗議するように唇を尖らせた。 「話聞いてよ」 「聞いてる」 手を止めて兄貴がワタナベを見てやると、彼は嬉しそうに口を開いた。 「ずうっと思ってたんだけどさぁ、センセ、熊さんに似てるよね?」 少しだけ頬を上気させて、ワタナベが嬉しそうに言った。それから楽しそうに兄貴の頬 を軽く叩く。 「僕ね、熊さん大好きなんだよ?」 たどたどしく言葉を紡ぎながら、顔を寄せて頬をすり合わせるワタナベに、耐えられなく なった兄貴は本格的に蹂躙の手を伸ばそうとしたその時―――、 「何をしているんだ!!」 すごい勢いで、マサムネが戻ってきてしまった。律儀にも急いできたのだろう、少し だけ息が荒い。 マサムネは音がしそうな勢いで兄貴を睨みつけている。右手にスーパーの袋をぶら下げ ているせいでイマイチ締まりがないが、その視線は人を射殺しそうなほど鋭かった。 「あ、マサムネたんおかえりー」 そんなマサムネも意に返さないのか、兄貴の膝からするりと降りたワタナベは、立ち尽 くすマサムネから半ば強引にスーパーの袋を奪った。兄貴の視界の端ではワタナベが マサムネの買ってきたエリンギを嬉しそうにパックから取り出している。 一方、マサムネは嫌悪感丸出しの表情で兄貴に詰め寄ってきた。 間の悪い所に戻ってこられた恥ずかしさはあったが、今更慌てても申し開きは出来ない ので、兄貴は何事もなかったように目の前の男に声をかけた。 「早かったな」 「恥ずかしいとは思わないのですか? あんな、あんな、見かけはワタナベさんだが、  中身は子供なのに」 「お前も硬いヤツだなぁ。あの外見と中身のギャップに萌えないのか? まぁ、そんな風  に潔癖だから一部の男にお前が言い寄られるんだろうな、納得」 「……貴様」 人を食ったような笑みを浮かべる兄貴を、マサムネが睨みつける。薄暗い部屋に短い沈黙 が落ちた。 カチリ。 不意に小さく響いたのは、部屋の鍵のかけられる音。 兄貴とマサムネは同時にドアの方を見た。 そこにはワタナベが笑いながら立っていた。 「いやー、まいった、まいった。さっきうっかり毒キノコ食べてさ。退化しちゃって  たよ。助かったよ、マサムネ。兄貴先生も後でお金は返しますから」 ニコニコと笑ってはいるが、その笑みは先ほどまでとは違う。真意の見えない、笑みだ。 「……きのこって」 呆然とつぶやくマサムネに、ワタナベが完璧な笑顔を向けた。 「ん? 俺、キノコで人格が左右される特異体質でね。まぁ、ゲームのマ○オと一緒だ  よ。あ、これは秘密だよ? 毒キノコが大量に送られてきたり、って、俺を追い落と  そうとする人間が出てきたら困るからね」 「……」 沈黙する二人を見ても、ワタナベは楽しそうな笑みを崩さない。 常識では測れないキノコの事実には目を背け、兄貴は気になった別の行為を尋ねてみる ことにした。 「なんで鍵を閉めたんだ?」 「あ、アレ? 兄貴が俺に微妙な触り方したから少しだけその気になってね。二人に  処理してもらおうと思って。一応すぐに逃げられないように、保険」 「二人?! 勝手に巻き込むな!」 いつの間にか数に入れられているマサムネが、抗議の声を上げた。 「あ、実は俺、結構前から君に興味があってさ。ちょうどいい機会だし。チャンスが  巡ってきたって感じだね。……君ねぇ、絶対体操服が似合うと思うんだよね。  半ズボン系の。膝までの白いソックスはいてとゴムつきの紅白帽かぶってさ、どう?」 絶句するマサムネの腕を取りながらワタナベが、楽しそうに笑った。それから、兄貴の 方も振り返る。 「もちろん兄貴先生の相手もしますよ? むくつけき男子もヤってみたかったんです、  安心してください。大丈夫、俺が二人とも攻めますから」 「……二人同時は無理だろ……」 呆然とつぶやく兄貴に、ワタナベは花のように笑った。 「嫌だなぁ。俺を誰だと思ってるんですか。ヤりますよ?」 ……兄貴は遠くの方で、自分も早いとこ鍵をかけて、ヤることヤっとけば良かったと 思ったが、すでに後の祭である。 チャンスは逃したものの負けなのだ。
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