ストレンジ カメレオン -A side-
「マサムネ、そろそろ行かないと」 と雪男に言われて、しかたなく、ノロノロとコートを着る。 今まできっぱり断らなかった自分が悪いのだ。しょうがない。 雪男はすでにドアから出て行って、廊下でマサムネを待っていた。 「行こう」 マサムネがドアから出て行くと、雪男は当たり前のように隣に並んで歩き出す。 まだ冬休み中だからか、いつも暖かい寮の廊下も、すごく寒い。 玄関を出ると、よりいっそう寒さが増して、マサムネはさらに暗い気分になった。 「みんな、どうせ遅刻するんだろうな」 「…だろうな」 雪男の言葉も、適当に返す。 マサムネは、胸の中でためいきを殺しながら、歩いた。 吐く息が白かった。 待ち合わせのボーリング場へつくと、「雪男先輩!」とかけよってくるヤツが いた。 「今日は本当にありがとうございます。俺が言い出したのに、雪男先輩に全部  任せちゃって…」 中等部生徒会長の健だった。 マサムネの悪い機嫌が、いっそう悪くなる。 「いいんだよ。僕も一回生徒会のメンツで遊んでみたかったし」 雪男は、マフラーをはずしながら、健に笑顔でそう答えた。 暖房のきいたボーリング場は、新年早々けっこう人が入っていて、ザワザワと 騒がしい。マサムネは、うるさいところがあまり好きではないので、こういう ところ自体が苦手だった。 しかも、雪男は健と並んで、マサムネを置いて歩き出してしまった。 別に仲間はずれにされた、なんて子供じみたことは考えないが、面白くない。 マサムネは、心の中でさんざんついたため息をもう一度ついて、歩きだそうと した。すると、後ろからガシッという衝撃がきた。 「よう、マサムネ! お前も来たのか。珍しいな、お前がこういった行事に参加  するなんて!」 「……兄貴先生……。先生まで参加ですか…」 マサムネの肩に、体育教師らしい太い腕をまわして、兄貴先生は豪快に笑った。 「もちろんだ。生徒会役員が素行不良とかでつかまったら、顧問の俺の責任問題  だしな! それに、俺はこういうイベントは大好きだっ!」 「…ただ単に、ボーリングしたいだけなのでは…?」 マサムネの冷たい言葉に、兄貴先生は肩から首へ腕をまわしかえ、マサムネにヘッド ロックを決めた。 「新年早々、嫌味なヤツだ! そこは大人として、黙ってろ!」 「……」 ハイテンションな兄貴先生についていけず、マサムネはヘッドロックからさっさと 脱け出して、もう何度目かのためいきをついて歩きだした。 兄貴先生は、「冷たいヤツだ」とか何とか言いながら、マサムネの横に立って歩き だした。 ボーリングは、あまり楽しくなかった。 元々運動も、大勢で遊ぶのも、好きじゃないのだ。 ただ、楽しんでいるヤツらに水をさすのも悪いので、少し離れたところで、マサムネ は休んでいた。 雪男は成績の悪い人のフォローをして、盛り上げているので、マサムネが離れた ことにも気づいていない。 自販機で買ったカップのジュースは、もうとっくの昔に氷だけになっていた。 「おう、お前こんなところで一人でどうしたんだ」 席に戻る気にもならないが、黙って帰るのもどうかと思って迷っていたら、また 後ろからガシッと肩をつかまれた。 「……兄貴先生……」 兄貴先生もジュースを買いにきたらしく、手にはコーヒーの缶を持っている。 マサムネが、「いや、別に…」と口ごもっていると、断りなしにマサムネの隣に 座った。 「何だ。仲間はずれか?」 「小学生じゃあるまいし、仲間はずれも何も…。疲れたから座ってるだけです」 「じじくさいヤツだなぁ。そういえばお前、体育も休んでばっかりだもんなぁ」 マサムネは、席に戻らなくてもいい口実が出来たので、少しほっとする。 この先生は、少し苦手なテンションだが、話すのが嫌というほどでもない。 「…そういえばお前、ワタナベが今日不参加な理由、知っているか?」 「いや、…何か、体調不良、と聞きましたが」 「…そうか…」 兄貴先生は、ズズ、と缶コーヒーをすすりながら、天井を見上げた。 マサムネは、その兄貴先生のしぐさに、少しおかしな点を感じる。 「どうかしたんですか? ワタナベ先輩が」 「いや、これといっては無いんだがな。うん。まぁ、気にするな」 兄貴先生は、何でもないようにガハハ、と笑うと、マサムネの肩をパン、と叩いた。 ―――そういえば、兄貴先生とワタナベ先輩は、怪しげな噂が流れていた。 マサムネは、そこでやっと思い出したが、特に興味もないので、流すことにした。 個人の事情なんて、深入りするものじゃない。 「…生徒会っていうのは、大変だろう」 しばらく黙っていたら、兄貴先生がポツリとそう言った。 「何がです?」 「いや…。みんな同じ立場なはずの生徒の内で、『統率力がある』とか、『成績が  いい』とか『人望がある』とか、そんな理由で、立場が一段階上になるんだ。  仕事とか、責任とか、高校生が考えなくていいことまで、考えなきゃいけないん  だろうなぁ、と思ってな」 兄貴先生はマサムネを見ずに、小さな声で、そうつぶやいた。 「はぁ…まぁ大変ですが、…楽しいですよ」 「そうか?」 「ええ。まぁ正直うざいことも多いですが、楽しいですよ」 兄貴先生は、缶コーヒーの缶の飲み口に歯をたてながら、「そうか…」ともう一度 つぶやいた。 「…生徒会に限らずな。自分が、役不足だ、と感じたことなんて、ないか?」 マサムネは、少し目をやった。 ボーリングで盛り上がっている中心には、雪男と健がいる。 「…それは、ありますよ。でも、例えば…  ぶかぶかの靴をはいていても、歩いたら自分の足跡と言われますから…。  その靴をはいている限りは、自分が歩ける範囲で精一杯歩かなきゃな、とは思っ  ています。だから、『役不足』ってことは、あんまり考えないようにしているん  です」 マサムネが、そう言って少し黙ると、兄貴先生は、驚いたようにマサムネの顔を 見た。 「…お前、いいこと言うなぁ」 飲み干したらしい缶を、ヒョイとゴミ箱に投げ捨て、兄貴先生はマサムネの肩を 痛いぐらいに抱きしめた。 「うむ。『負うた子に教えられ』とは、まさにこのことだ!」 「俺、先生におんぶされたことなんてないんですが…っつーか、苦しいです」 熱血教師すぎるこの兄貴先生の、愛情表現か何かわからないこれには、マサムネも 参った。本当に苦しい。やっと離してもらったら、酸欠のせいで、頭がくらくら した。 「そうだ、マサムネ。お前に一つお年玉をやろう」 「は?」 兄貴先生は、唐突にマサムネにそう言い、ボーリングで遊んでいるヤツらに向かって、 いきなりこう叫んだ。 「おーい、お前ら。見ろ」 何をするのかと思っていたら、兄貴先生はすばやい身のこなしで、ヒョイとマサムネ にキスをした。 驚いて固まったマサムネは、頭の中が白くなるのを感じた。 「うわー!」という誰かの声が聞こえる。 そりゃそうだ。噂でホモと言われている先生が、男子生徒、しかもマサムネに皆の 前でキスをしたとなったら、大騒ぎだ。マサムネもびっくりだ。 「な…な……」 「どうした。気持ちよすぎて、声も出ないか? ん?」 マサムネは、兄貴の言葉に間髪いれず、こぶしを握って殴った。が、よけられた。 そして、よけられた手首を握り締め、マサムネをみんなの所へ連れて行く。 マサムネは、驚いて抵抗したが、兄貴先生に力ではかなわなかった。 兄貴先生は、マサムネを雪男の隣に無理やりつれていき、並ばせる。 「先生…生徒に手を出してもいいんですか…?」 雪男は、マサムネを自分の後ろにかくしながら、そう言って兄貴先生をにらんだ。 「手を出したわけじゃない。味見だ」 しゃあしゃあとそう言いのけて、呆然とする生徒会の面々を置いていったまま、 兄貴先生は、今度は健をガシッとつかんだ。 「次は健だな」 「う、うわ、やめてくださいよ! 先生! ちょ、勘弁してくださいよ!」 ムーッと口を近づける先生に、健は精一杯抵抗する。 マサムネは、この先生がとうとう狂ったのか、と思った。 ふと雪男に目をやると、こっちを見ている。 みんなが健と兄貴先生の方を向いて、「やれやれ!」とかはやしている横で、 雪男はマサムネのえりくびをぐいっと引っ張った。 「…二次会は健と兄貴先生に任せて、一次会、二人でぬけようよ。お前が兄貴先生  に不覚とるなんて、体調悪いんだろ?」 耳元で、小声でそうささやかれて、マサムネはイエスとも何も言えなかった。 早口で言って、さっさとマサムネの体から離れた雪男は、兄貴と健を引き離しに かかっている。 その顔は、さっき一瞬だけマサムネに見せた顔から、いつもの雪男の顔に変わって いた。 今のは何だ。マサムネは、混乱した頭で、色々と考えていた。 もしや、兄貴先生は、マサムネが健に嫉妬しているのに気づいていたのか? 雪男をとられたみたいな、子供じみた感情、気づかれていたのか? 雪男を嫉妬させるために、キスしてきたのか? それとも趣味なのか? 兄貴先生は、マサムネの方をちらっと見ると、ニヤリと笑った。 さっき雪男に囁かれた右耳は、まだ熱かった。
ブラウザの「戻る」で戻ってください