その日、降水確率60% 
耳が痛いほど寒いというのに、今日は朝から雨が降っていた。 そのためか、いつもは騒々しいほどの放課後の教室も、今日はみんな元気がない。 原宿は、緊張した面持ちでカバンをつかんで席をたった。 目指すは、二つ隣の教室だ。 「…宮本、いる?」 違うクラスというのは、妙に緊張する。 ドアを開いて顔だけ出して、原宿は小声でドア近くにいた松本に聞いてみた。 「あぁ、呼ぼうか? あそこにいるけど」 松本は、窓際に座る宮本にそう言う。 「頼むわ」 松本が席を立って、窓際にいる宮本を呼びに行く。 うざったそうに宮本が、こちらを向いた。 「…」 宮本と目が合って、手をふってみた。つまらなさそうな顔をされた。 松本がうながして、やっと席を立つ。 「…何か用か…?」 放課後に来て、何か用かも何もないと思うのに。 「…一緒に…帰ろうかと思って」 不穏な空気を察したのか、松本は『じゃぁ僕はこれで』と、席を立って行って しまった。気まずい。 「竹田達と麻雀するんじゃないの?」 宮本の言葉に、原宿は『う』と小さくうめいた。 今年冬期休暇が終わってから、ずっと宮本はこうなのだ。 原宿が何か言っても反応は冷たいし、誘ってものってこない。クリスマスに、 竹田との一件がばれて怒られたけれど、それはもう去年の内に死ぬほど謝ら されて、終わったはずだ。(っていうか、そもそも原宿には落ち度はない) 何で怒っているのか、原宿にはさっぱり理解できなかった。 「それは断った…。だから…その…」 『こうして、仲直りしようと思ってきたんじゃん』と言おうと思ったが、それ は言葉にはならなかった。宮本の冷たい声に、せっかく出した勇気をないが しろにされたようで、原宿はむっとする。モゴモゴと口の中で何かを言って いる原宿を見て、宮本は肩をすくめた。 「…分かった。じゃ、帰るか」 『嫌ならいいよ!』という言葉を飲み込んで、原宿はむくれた顔でうなづいた。 正門を出たところで、雨足がさらに強くなった。 「こ、こんなに雨強かったら、傘さしても意味ないよな」 「…そうだな」 「ズボンがびしょぬれだ」 「…」 廊下から正門まで、全く宮本は会話する気がなかった。 二人の間には、傘が水をはじく音だけが響く。 「なぁ、宮本…。何、怒ってるんだよ…」 原宿が、意を決してたずねてみた。 「別に」 でも、宮本の答えは冷たかった。 「…怒ってるなら、理由を言えよ」 「だから怒ってないって」 ハァ、と宮本がわざとらしくため息をついた。 その白い息が空気に溶けていくのが、無性にむかつく。 「怒ってないなら、俺の顔見て話せよ!」 怒鳴って、やっと宮本が原宿の方を向いた。 そして、何か言おうと口を開―――こうとしたところで、原宿の携帯が鳴った。 「…出れば?」 「出るよ!」 宮本の冷たい視線をにらみかえし、ポケットから携帯を取り出す。 ミニハムずの陽気な音楽が、今は少しうらめしい。イライラしながら画面を見ると、 『竹田』という表示が光っていた。 「…」 「…出れば?」 原宿の一瞬の動揺を見逃さなかったのか、宮本は原宿の傘を持ってやりながら、 もう一度言った。 原宿は、通話ボタンを押す。 『…もしもし、原くん?』 電話から、竹田の陽気な声と、後ろでやっているらしい麻雀の音が流れてきた。 「何か用?」 『お前、明日提出のプリント、教室の机の上に忘れていっただろ』 「…あ!」 竹田が電話の向こうで笑う。耳に、じわりと暖かさを感じた。 この冷たい空気とは無縁の世界にいる竹田に、羨望と憎しみを感じる。 『細田先生、宿題忘れたら怖いからなぁ。あとで部屋まで届けてやるよ』 「あ…悪いな。よろしく…」 『? …何かあった? 様子がおかしいけど』 竹田が、声をおとしてささやいてきた。 肩がビクリとしてしまう。 「い、いや、何もねぇよ! じゃ、後でよろしく!」 自分の心を見透かされたようで、原宿は一方的に電話を切った。 「…た、竹田が明日提出のプリントを届けてくれるって…」 「別に俺に説明する必要はないだろ」 宮本は、原宿が携帯をポケットに戻すのを待って、傘を返した。 そして、スタスタと原宿を置いて早足で歩き出した。 …何だか、原宿はムカムカしてきた。 「だから…言いたいことがあるなら言えって!」 何だか、寒さのせいか、涙目だ。 「別に怒ってないって言ってるだろ?」 冷静な宮本が、無性にむかつく。 「この…バカ! ハゲ!」 何て言っていか分からずに、原宿は手に持っていたカバンを宮本に投げつけた。 「痛っ! バカ、やめろよ!」 カバンだけでなく、補助バッグやマフラー、手袋と、手当たりしだいものを 投げつける。最後に傘を投げつけてやった。 アスファルトに舗装された道に、投げたもの全て転がり、手袋は、水溜りに つかってしまった。 大粒の雨が、原宿に直に当たり、どんどん服に染み込んでいく。 宮本は、原宿に、足元に転がった傘を拾って渡そうとした。 しかし、原宿はその傘を受け取らず、はねとばす。 「もういいよ! バカ! ハゲ! ウンコ!」 原宿は、道に落ちたカバンや補助バッグを拾いながら、すごくみっともない自分 に、自己嫌悪していた。全て拾い終えても、宮本は何も言わず立っている。 原宿が、宮本を置いて走り去ろうとしたところで、やっと腕をつかまれた。 「…どこ行くつもりだよ」 すでにずぶぬれの原宿に、宮本は傘をさしかける。 涙でベショベショの顔になった原宿は、宮本をにらみつけながら、歯をくいし ばった。体が寒さで震えるのがすごくむかつく。 「うるさいよ! もういいだろ、放っとけよ!」 「いや、だから何がもういいんだよ。俺は…」 宮本は、何か言葉を続けようとして、震える原宿に気づいた。 「…続きは後だ。こんな冬に、ずぶ濡れなんて、自殺行為だ。  続きは、部屋戻って、着替えてからだ」 「お前がしきるなよ!」 興奮した原宿の腕をつかみ、宮本は歩き出した。 原宿が抵抗しても、何を言っても、止まらないし何も言わない。 しだいに、涙で声がかれてきて、唇をかみしめるしかなかった。 宮本の手には、原宿の傘が閉じられたまま握られていて、宮本の傘は原宿 の方にさしかけられているため、宮本の右肩がずぶぬれなことに、原宿は 気づかないままだった。 寮に戻って、原宿はすぐに共同の風呂に押し込まれた。 宮本は、荷物を置きに先に部屋へ戻ってしまう。 抵抗して風呂に入らずに、寮を飛び出そうかと思ったが、後輩や先輩に泣き顔 を見せるのが恥ずかしくて、結局大人しく風呂につかった。 暖かい風呂が、冷えた体にしみわたっていく。 「…宮本のバカ」 体が温まると、怒るのもバカバカしくなってきた。 涙が止まり、あがると着替えとバスタオルが脱衣所に用意されている。 …用意周到な宮本に、さらに怒りがそがれた。 「まぁこれでも飲めよ」 部屋に戻ると、宮本がホットミルクを差し出す。飲んでみると、甘い。 砂糖がはいっているらしい。 「…落ち着いたか?」 暖房の近くには、ずぶ濡れの原宿のカバンや、補助バッグが干されている。 「……」 何を言っていいか分からない原宿は、黙って宮本を見つめる。 「だから…怒っていたわけじゃ、ないんだよ」 「…嘘だ」 「いや、本当だって。その…俺も色々考えてて…」 原宿の濡れた髪をクシャリとなでながら、宮本が低い声で囁く。 原宿は、ホットミルクを一口すすりながら、宮本をながめた。 原宿は床に座っているので、ベッドに座った宮本を見上げる視線になる。 「…考えてたって、何を」 「その…。この関係を長続きさせるためにだな…まぁ、努力を。その」 宮本は、何か歯切れが悪い。原宿は、全く話が見えなかった。 「努力?」 「そう」 「何を」 「…束縛する男になるまいと」 ちょっと迷った末に、宮本は低くうなるようにそう言った。 「…束縛?」 「いや、その…、クリスマスに」 「それはもういいじゃん!」 「いや、だから竹田のことは、俺も大人げなかったな、と」 「3日間起き上がれなかった」 クリスマスの一日のことを思い出し、原宿は眉間にしわをよせた。 「いや、だから…嫉妬深い男は嫌われるし…とりあえず原宿君の意思に全て  任せて、俺は大人になろうと思いまして」 「大人になった結果が、無視かよ!」 原宿の言葉に、宮本はこめかみに指をあてる。 「だから、無視とかじゃなくて…。原宿を束縛しまい、と俺なりに努力を、  だな…こう、気兼ねなく原宿が他のヤツらと遊べるように、努力をした  わけだ」 「何言ってるか全然分からねぇ」 「いや、だからな。原宿が、俺といるために、好きな麻雀をあきらめたりとか  しないようにだな。こう、一歩ひいた状態でお前のことを守り、見つめている  男になろうと、今年の頭に決心したんだ。クリスマスの時にやりすぎたし」 「…は?」 「だから、お前が何かをしたい時に、俺が嫌がるんじゃないか、と思わない  ように、まずお前に無関心である態度をとって、だな。こう…最近は努力  していたわけだ」 あはは、と力なく笑う宮本を、原宿はポカンと眺める。 そして、しばらく黙りこくった後に、原宿はすくっと立ち上がった。 「原宿君?」 原宿は、無言で思いっきりふりかぶると、宮本を殴り飛ばした。 「がっ」 そして、宮本のえりくびをつかみ、ギリギリまで顔を近づけてにらみつけると、 原宿はすごく低い声でささやいた。 「何か。俺はお前の女か」 「……いや、違う…ます」 「何が一歩ひいて見守るだ。ふざけんな。俺は子供か。女か」 「…いやその…あいたっ!」 原宿がえりくびをつかんだままベッドにのりあげてきたので、自然と宮本は ベッドに押し倒され、壁に頭を打った。 宮本がクラクラしているすきに、原宿は宮本に馬乗りになる。 「…原宿?」 えりくびを持ったままの原宿は、冷たい目で宮本を見下ろす。 このまま絞め殺されるのではないか、と宮本はちょっとドキドキした。 しかし、原宿は噛み付くようなキスを宮本にする。 何度も角度をかえて、しだいに深くなるキス。 そして、宮本のワイシャツのボタンを一つ一つはずしていく。 「…竹田が、プリント届けに来るんだろ」 手がかじかんでいるのか、あまりうまくはずせない原宿の手をつかんで、宮本は ちょっと困りながらそう言った。 「30分で終わらせてやるよ」 「俺が押し倒されて?」 「うん」 宮本は、とりあえず原宿が宮本のワイシャツのボタンを全部はずしおえるのを 黙って見ることにした。原宿は、途中でワイシャツのボタンをはずしていくのに じれたのか、最後の2つを残して胸をはだけさせると、そこに唇をよせた。 宮本は、原宿の細い腰に手をやる。 「……原宿君?」 「だいたい、最初の時にお前が薬をもったせいで、なしくずしに俺が女役に  なってたんだよ。だからお前が、俺を女みたいに扱うんだ。だから、今日は  俺が男役をすることによって、お前に俺が男だとわからせてやる」 宮本は、プッとふきだした。 原宿は、宮本が笑いだしたので、顔をあげる。 「…何だよ」 「いや、は、原宿は…かわいいな、と思って…」 「バカにすんな。本気だぞ?」 「いやいや、原宿君。ごめん、俺が悪かったわ。うん。お前の方がよっぽど  男だ。守りたいとか見守るとか、おかしかったな、うんうん、ごめん」 笑いが止まらなくなった宮本をにらみながら、原宿はつぶやく。 「…やめないからな」 「いや、やっぱり俺は、押し倒されるよりは押し倒す方がいいかな」 笑いながら、宮本は原宿の細い腰を抱きしめると、ヒョイと持ち上げた。 一瞬をつかれた原宿は、起き上がった宮本のひざの上に、向かい合って座る 形にされる。そして、宮本の顔がすぐ近くにきて、唇をついばまれた。 「…ごめんな、原宿」 唇を蹂躙されながら、背中に手が侵入してきた。冷たい手のひらのせいで、 背筋が凍る。そういえば、宮本は風呂にも入っていないんだ、と原宿は今更 気づいた。今日は俺が、という文句が、それのせいでのみこまれる。 「…みやもと…」 「30分で終わらせてやるよ」 唇があごのラインを通って、耳に到達すると、熱い息とともに、そんな言葉が ふきこまれた。 原宿は、何も言わず、宮本の首に腕をまわした。 …竹田は、ノックをしたら、宮本が出てきたので、驚いた。 「原宿は?」 「寝てる。悪いな、わざわざ。プリント届けに来てくれたんだろ?」 ニッコリと余裕を見せつけるように笑った宮本に、竹田は苦笑いで返す。 「原君との痴話げんかは、もう終わったの?」 「まぁな。ラブラブですから」 竹田は、肩をすくめた宮本の頬に、いきなりそっと手をあてた。 「右頬、赤くなってるぞ? …さては殴られたか?」 そのしぐさが、妙にいやらしくて、宮本は思わず手を払ってしまう。 「…」 「何意識してるんだよ」 竹田は、形成逆転、とばかりにニヤリと笑う。 「お前…! からかうなよ、人を!」 「大声出すなよ。原宿起きちゃうだろ?」 竹田の余裕の様子に、宮本は「いいから、さっさとプリント渡して帰れ」と 言った。竹田も、持っていたプリントを宮本に渡す。 そこで、ふと気づいたように竹田がつぶやいた。 「首筋に、すげぇ噛み跡がついてるぞ、宮本。マーキングか?」 「…!」 バッと首に手をやる宮本に、竹田は声をあげて笑った。 「ははは。嘘だよ、宮本。慌ててるなよ。はははは」 「…お前にだけは、原宿は渡さねぇからな!」 宮本が歯噛みしながら言うと、竹田はそのままくるりと後ろを向いて、歩き 出した。そして、背中を向け、肩を笑いでふるわせながら手をふる。 「いやー、笑わせてもらったよ。じゃ、また今度」 「…もう二度と来るな!」 宮本の吐き捨てるようなつぶやきにも、竹田はふりむくことはなく、笑った まま去っていった。 宮本は、手にもった原宿の宿題プリントを見る。 「…アイツ、今夜これできるかな」 次の日の朝、原宿が半泣きで友達のプリントを写したのは言うまでもない。
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