ドアを閉めるのは誰だ?
慶介のもとに一本の電話が来たのはある日曜日の午後のことだった。 「……各務? は? 青木さんがなんだって?」 「青木さん」という単語を口に出すのは随分と久しぶりかもしれない。そんな ことをぼんやり考えながら、慶介はどこか切羽つまった様子の各務の声を聞い ていた。 「――悪い、聞き取れなかった。もう一回言って」 『ですから……、――』 「青木さんが失踪したか、死んだかもしれない? なんだ、それ。そんな冗談 言うために電話かけてきたのか?」 『冗談じゃないんですよ。とにかく早く来てください! お願いします。青木 さんが、青木さんがっ……』 「――わかった。すぐ行く」 慶介は混乱した頭のまま電話を切った。 ――青木さんが失踪? 死んだ? バカなことを。 なにかのイタズラに違いないとは思ったが、気は急いた。結局、居ても立っても いられなくなって、慶介は走り出した。 *** 勢いよく懐かしい部屋のドアを開けると、真っ先にきれいに並んだピカチュウ群 が見えた。相変わらず妙に黄色い部屋である。 しかし、そこで迎えてくれたのはいつもいたはずの青木の童顔ではなく、童顔 は童顔でも、もっと少女めいた各務の顔だった。 ――どうせなら、なぁ。やっぱりこの部屋に似合うのは……。 そんな慶介の感慨を押しのけたのは、顔をしかめた各務が差し出した一枚の紙 だった。小さなメモ用紙には、青木の字でなにやら短い文章が書き込まれてい る。 「これをよむ、ともだちへ ろくでなしはきえます さがさないでください れきしのてすとがれいてんで るいねんだばかやろう、だって もう、たえられません。鬱氏   青木」 「『るいねん』? ああ、留年か。えーと。なんだこれ」 「慶介さん、文頭を縦読みしてください、縦読み」 紙を怪訝そうに見下ろす慶介の顔を覗き込むように、各務が言い募る。 「『こ ろ さ れ る』……?」 「青木さん、これを残して、昨日、消えちゃったんです」 慶介の手から再び紙を手元に戻した各務は、それを見ながらつぶやいた。 どう考えても現実味のない状況に慶介は「なにを企んでいる?」と言いかけた が、予想以上に深刻そうな各務の顔を見てしまうと、それは言葉にならなかっ た。 「……どうしたらいいんでしょうか。本当に青木さん、ここのところ沈んだ顔 をしていたから心配だったんですけど……、まさか、こんなことに」 「――ちょっとまて、本当にネタじゃないのか?」 「信じて、くれないんですか?」 涙ぐんだ各務に見つめられてしまうと、どうも自分が一方的に悪いような気に なる。慶介は言葉の矛先をそらした。 「詳しく事情を話してくれ」 「はい。……ここ一、二ヶ月くらい、妙に青木さんが沈んだ様子だったんです。  閣下と僕で事情を聞き出そうとしたんですが、青木さんは『なんでもない』  の一点張りで」 うつむきがちに、各務がそう告げた。 「なにか、青木さんに不審な電話がかかって来ていたり、誰かと秘密裏に会っ  てるような様子は?」 「まったくありませんでした。突然、消えてしまって……」 「――貴様、よくも青木を!!」 ものすごい音がして、ドアを蹴破る勢いで誰かが入ってきた。 「閣下……」 凶悪な顔をした優男は慶介の胸倉を掴むと、激しい口調でののしってきた。 「昨日青木はな、『慶介さんに殺される』って言ったまま出て行ったんだよ!  よくも顔を出せたもんだな。青木をどうしたんだ、ええ?」 「……」 「なんとか言えよ!!」 「……」 なにかひっかかる。 「――ちょっとさっきの紙見せて」 慶介は各務に向かって手を伸ばした。 「え、……でも」 一瞬ためらう様子を見せた各務に違和感は確信に変った。 「早く!」 「これをよむ、ともだちへ  ろくでなしはきえます  さがさないでください  れきしのてすとがれいてんで  るいねんだばかやろう、だって」 「――青木さん! 近くにいるんだろ!? この左から九列目の『だまされろ』  ってなんなんだ?」 子供だましは見切ったと、慶介は声をあげた。青木が出てくる様子はない。 慶介はさらに言葉を続けた。 「……二人とも熱演おつかれ。でも、もう少し打ち合わせはきちんとした方が  よかったんじゃないか? 『今まで不審な行動をまったくしなかった青木  さんが、閣下にだけ犯人を告げて消える』っていう設定は少し無理がある。  二人とも少し演技が過剰だし」 静かに、ドアが開く音がした。子どものような手だけが見える。 「二人を怒っちゃダメー。ぼくが無理矢理頼んだんだから」 「――青木さん。なんでこんなことを…」 慶介はドアのところまで歩いていって、青木を廊下側から引き入れた。 「だって、だって、ちょっと出ていくって言ったっきり、慶介さんなかなか  戻ってこないんだもんー。電話しても……いっつも冷たいし。ぼくのこと  もう嫌いになったのかなって思って……」 目に涙をため、しょんぼりつぶやいた青木を見ていられなくて、慶介は仕方なく その頭を引き寄せた。青木がまるい頭をぐりぐりと慶介の肩口に押しつけてくる。 「あっさり見破られちゃったけど、慶介さんにぬれぎぬきせて、ぼくのことどう  思ってるか、聞こうと思って……。ごめんね」 青木の言葉に、慶介は脱力した。 「つまり、俺に言いがかりをつけて、『俺は青木さんが大事だから殺したり  なんかしない』とかなんとか、言わせたかった?」 慶介の言葉に、青木はこくりとうなずいた。物騒なことを考えたもんだ、と呆 れるが、確かに「失踪」とか「死んだ」とか物騒な言葉を聞かなければ、自分 はこんなにあっさりここには帰ってこなかったかもしれない。ある意味、青木 の読みは当たっている。 「――俺がいなくても、大好きな閣下とか、各務くんとか、サンバとか、青木  さんの周りにはいっぱい友達がいると思うんだけどな」 「みんないてくれなきゃヤダー」 この「みんな」が曲者なのだ。 それが嫌になって青木から離れたことを、慶介はぼんやり思い出した。 ――好きな相手から「みんなお友達」呼ばわりは苦痛すぎる。 近くに立つ各務も閣下もどことなく苦笑しながら青木を眺めている。この二人 も青木の「みんなお友達」の被害者に違いない。 「わがまま」 この人にはホント呆れてしまう。それでも、離れたのは間違いだったと強く思う 自分がいる。どこか子どもっぽい匂いのする青木を抱きしめながら、慶介は無性 に自分の居場所に戻ってきたような気分になった。 「慶介さん、戻ってきてくれる?」 慶介は小さく、ため息を落とした。降参である。 「――わかったよ。戻ってくる」 「ホント?! ヤター!! じゃあ、また、慶介さんと一緒にいられるんだね?」 うなずいてみせると、青木は背中に腕をまわし、ぎゅっと抱きついてきた。 そばに立ったままだった各務と閣下は、そんな青木を見て、顔を見合わせた。 どうやら、部屋を出て行ってくれるらしい。 慶介が二人に軽く会釈をすると、各務と閣下は憎まれ口を落としていった。 「慶介さんは、この部屋に来た時点で負けなんですよ」 「――カギ、閉めんじゃねぇぞ」 一言づつそう言い残し、ドアは閉められた。 「カギ閉めちゃいけないの?」 「……まぁ、カギを閉めると、俺が青木さんに意地悪した場合助けられないから」 「? 慶介さんは、そんなことしないよね?」 「……今はね」 そう、今はしない。けれど、青木に騙されたという事実は、自分の頭にはしっ かり焼きついている。 どうやって意趣返ししてやろうか。 まず、この学校には、こっそり名前を変えて戻ってこよう。 ――慶介は意地の悪い策略を練りはじめた。
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