確執未満。
二時間目から降り出した雪は、放課後になる頃には、辺り一面を真っ白に染め 上げていた。そうして、力尽きたように小降りになった雪の中を歩きながら、 宮本は廊下の窓から顔を出している竹田と原宿を見やった。 「そんなところで見てないで、外、出て来いよ」 しかしその宮本の声にも、竹田は静かに微笑んでいるだけだったし、原宿は 「寒いからヤダ」とすげない。仕方なく宮本は、足元から雪をすくって丸めた ものを、二人に向かって投げた。 どちらに当たっても良かったのだが、雪球は原宿の髪をかすめ、廊下の向こうへ 消えていった。 「うわっ。なんか髪が濡れた。このうんこっ」 原宿は嫌そうに白くなった髪の先を手ではらう。 「ほら、仕返ししてみろよ。外、出て来いって。いくらでも応戦してやる」 「うるさい、バーカ」 暴言は吐くけど、依然として動く気配を見せない原宿に、宮本は大きく息を ついた。 彼は、雪に侵されていない軒下まで歩を進めると、不機嫌を全面に押し出して いる原宿の手を強引に取る。 「つめてー。つか、引っ張るなよ!」 「傘なんて持ってないんだろ? どうせ帰るとき濡れるんだから、ちょっと雪で  遊ぶくらい、つき合え」 「雪止んでから帰るし。寒いのヤだし、運動嫌いだしっ。……ちょっと、痛い  って。窓の桟に腹が思いっきり当たってるんですけど! 腹イテー。ヤメ  ……っ」 涙目になってきた原宿にも宮本は容赦なく声を浴びせる。 「引っ張り出してやる。こっから引きずり出すのって、ちょっとおいしいかもなー」 「おいしくない! 大体、俺、上履き……」 情けない声を上げはじめた原宿に、宮本が勝ち誇ったように問いかけた。 「俺と遊ぶ?」 小さな間の後、こくり、と原宿がうなずいた。 「ちゃんと逃げないで、靴に履き替えてここまで来る?」 今度はすぐに二回、原宿がうなずいた。うなだれた彼の頭を満足そうに見ながら、 こんなもんだろう、と、宮本は手を離してやった。 「鬼ー!」 途端、原宿は弾かれたように宮本から離れ、痛そうにお腹をさする。その様子 に、それまで傍観をしていた竹田も小さく声をあげて笑った。 「竹田さんも鬼っ」 「ごめんごめん。遠くまで逃げ出さないあたりは偉いね」 竹田の言葉に、原宿はむくれる。少しだけ、どこか、甘えるように。 「――ほら、ソコ。ちゃんと約束守れよ。十数える間に外に出てこなきゃ、後で  理詰めの説教で苛めたおす」 じゅう、といきなりカウントダウンをはじめた宮本の声に、原宿は焦ったように 隣の男に問いかけた。 「竹田さんは?」 「……行ってきなよ。少なくとも雪が止むまではここで見てるから」 静かなその言葉に、一瞬原宿は寂しそうな顔をする。 しかし、そんな自分を隠すように、すぐに小生意気な顔で宮本を睨みつけた。 「腹、痣になったら、治療費取り立てるからな」 「俺が舐めて治してやるよ」 「死ね」 ゆっくりと吐き捨てて、原宿が昇降口の方に歩いていく。 その後ろ姿が小さくなってから、宮本は口を開いた。竹田の方は見ようとも しない。視線は原宿の背中を追ったままだ。 「かわいそうにな」 「何が?」 感情の見えない声で竹田が問うてきた。 「……気づいてるんだろ?」 「質問に質問で返すのは反則だよ。……でもまぁ、まあね。気づいてるよ。  あと、君の気持ちもね」 その言葉に、宮本は竹田を振り返った。メガネの奥の瞳に、確かに状況を 面白がっている色を見つけて、宮本は小さく舌打ちをした。 「食えないヤツ」 「君に食われてもね……。僕は、他人に過度の期待をしない人が好きなんだよ。  僕に期待しないようにしているハラくんを見るのが、僕は、とても好きだ」 「……」 「あ、逃げないでちゃんと来たみたいだね」 竹田の声に振り返ると、小降りの雪の中、とぼとぼと嫌そうに歩いてくる原宿 の姿があった。その姿を、なんだか無性に抱きしめたくなって、宮本は焦った ように一歩踏み出した。 「かわいいね」 竹田の茶化したような声に、宮本は少しだけ冷静さを取り戻す。 そして「頭を冷やせ」と自分をいなした。 「身をわきまえろ」と。 ――原宿が抱きしめて欲しいのは、決して自分ではないのだから。 「……他人に過度の期待をしない人間って、竹田がそうなりたい願望だろ?  ……他人に押しつけたら、かわいそうだ」 この言葉は、原宿を慮っているようでも、結局は負け惜しみだ。宮本は思う。 けれど彼は、その言葉を口に出さずにはいられなかった。ちょっとだけ、竹田 を傷つけたいのだ。理知的な目の前の男を、嫌いなわけでは決してないのだ けれど。 ちくちくとした嫌な凝りで胸がいっぱいになる。 ――不意に、雪球が宮本の後頭部で弾けた。 振り返れば、離れた所で原宿が得意そうに笑っている。 「てめ、石入れたろ! 痛いぞ!」 「小石だよ、小石!」 そう言いながら原宿は、第二球目を振りかぶって、投げた。二投目は残念ながら、 宮本に当たることなく、どこかに消えてしまった。 「ノーコン! どこに投げてるんだよ!」 叫びながら、宮本は少しだけ救われた気持ちになった。宮本は今度こそ竹田を 振り返らず、雪の中へと走っていった。 ちらちらと雪の降る中、宮本が飛びかって原宿の首を絞めている。 それを見つめながら、窓枠にもたれかかった竹田がぼんやりとつぶやいた。 「僕の言葉をどう取るのも勝手だけど……、言い捨ては卑怯だよな」 ……言葉は、吐き出されるそばから白い虚空に消えていき、二人に届くことはない。 そのことに安心したように、……竹田は少しだけ自嘲的な笑みを浮かべた。 「面白いな。どう、なのかな。僕は、本当は、……が――」
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