休日、禁煙
 ぼんやりした頭で目を開くと、薄暗い紫色の空気が見えた。  友達と遊びたおして、昨日部屋に帰ってきたのは、深夜。  確か、ベッドに倒れこんで、そのまま寝たはずだ。  枕もとのカレンダー付時計で、今夕方であるのを確認して、俺は寝返りをうった。  また、せっかくの休日を無駄にしてしまったらしい。  「…ワイシャツがひどいしわだー…」  昨日の服のままだったので、胸ポケットをさぐって、タバコの箱をとりだし、  火をつけた。  「…寝タバコはどうかと思うよ、関さん」  いきなり上から声がふってきて、タバコが取り上げられてしまった。  「竹田、いたのか…。何で電気つけねぇの?」  目をこすりながら、重たい頭を起こすと、竹田がぶあつい袋を持って、タバコ  を汚いものを持つように、つまみあげている。  「どこかの誰かさんが、いつまでたっても起きないから、さっきまで宮本達と   買い物に行ってたんだよ」  「…へー…何買ったの…」  「本」  俺は寝返りをもう一回うった。  竹田は、枕もとの灰皿にタバコを押し付け、火を消してしまった。  「…もったいねーことするね…。火ィつけたばっかりなのに」  「いいから、そろそろ起きれば?」   「だりー」  大きなため息をついたと思ったら、ベッド脇から竹田の気配が消えた。  何だよ。もうちょっと相手してくれてもいいじゃないか。  妙に寂しくなったので、俺はしょうがなく上半身を起こした。  パチンと、電気がついて、部屋が明るくなった。  「コーヒー飲む?」  竹田は、そんな俺を見越していたかのように、ポットの前にいた。  「…頼むわ」  頭をガリガリとかいて、俺はタバコを取り出して、火をつけた。  「オッサンなんだか、子供なんだか…」  あきれたような笑い声に、適当にあいずちをうっていたら、竹田の方から  コーヒーのいい匂いが流れてきた。  俺は、肺一杯の白い煙を、ゆっくりと吐き出した。  小さいテーブルを囲んで、男二人で向かい合った。  俺は3本目のタバコに火をつけながら、コーヒーを飲む。竹田は、ビリビリと、  今日買ってきたらしい本をあけはじめた。ぶあつい雑誌だ。  「漫画?」  「うん」  「後で貸して」  「うん」  「……」  「…………」  「………………」  「……………………」  「なぁ竹田」  コーヒーを飲みほして、俺は竹田の読んでいた本を取り上げた。  「何するのさ」  「お前、テーブルはさんで向かい合ってるんだから、何か喋れよ」  「何を?」  「……」  竹田は、雑誌を取り戻して、また読み始めた。  俺は、タバコをまた吸った。  「…なー、竹田」  「何? 僕に相手してほしいの?」  「たまの休日なんだからさぁ。夕食まで時間あるし」  「しょうがないなぁ、関さんは」  竹田は、本当に「しょうがない」という感じで、本をパタンと乱暴に閉じた。  ちょっとむかつく。  「何する?」  「あー…いや別に、竹田と話したいことは、何一つないんだけど」  「何だよ、それ」  「でも相手しろよ」  「ワガママだなぁ」  俺は、タバコをもみ消して、また新しいタバコに火をつけようとした。  竹田は、それを見ながら、いきなり立ち上がって、机から紙とペンを取って  きた。  「何すんの?」  「議題:『関さんは、どうやったら禁煙できるか』を話し合おう」  「…禁煙。無理」  竹田は、俺の手から新しいタバコと、タバコの箱を取り上げた。  「『まだ未成年なのに、スパスパタバコを吸うのはいけないと思います』、と」  白い紙に、文章が書かれていく。  「『精神安定剤のようなものなので、禁煙は無理です』って書いて」  「『部屋がタバコ臭くなるのは、どうにかしてほしいです』」  「『ニコチンが切れると、イライラして、もっと竹田君に迷惑をかけてしまうと    思います』って、書いて」  「『服や布団にまで、タバコの匂いが染み付くので、まるで僕がタバコを吸う    みたいに思われてしまいます。何とかしてください』」  はじめはちょっとだけ面白かったのだが、だんだんタバコが切れてきて、イラ  イラしてきた。  「…いや、無理だから。本当に」  「禁煙しようよ。タバコくさいよ、おじちゃん」  「同学年だろ」  「関さんの体が心配だよ。吸いすぎは体に悪いよ?」  「何を言われようとも、無理なものは無理なの」  「……」  竹田は、手をピタリと止めて、ゆっくりと顔をあげた。無表情。俺をにらむと  いうか、「じっと見つめている」という感じだ。怖い。嫌な感じで怖い。  竹田は、俺を見つめた後、ふっと視線をはずして、ためいきを一つついた。  「そうだよね。副流煙で僕がもし肺ガンになったとしても、多分症状が出始める   頃は、関さんと僕は、もう学園を卒業して、二度と会うこともない関係になって   いるんだものね。そんなヤツのために、関さんが我慢なんてすること、無い   よね…」  「…」  「はぁ…そうか…。自分の勘違いと、ぶしつけなお願いに、今更ながら恥を   感じるよ」  「……いや、あの……」  「もう二度と言わないでおこう」  「……」  竹田は、ペンのふたを閉め、紙を小さく小さくたたんで、ゴミ箱に捨てた。  そして、俺にタバコを投げて返した。  視線をあわせてくれないのが、すごく怖い。  「…いや、だから竹田。いつも吸っているものを、急にとりあげられたら、   口寂しいだろ? だからちょっと…」  「口寂しいのか。よし分かった。口寂しいのなら、タバコのかわりに、ペロペロ   キャンディとかどうだろう。なめてる間は、タバコ吸えないじゃん」  「いや、それは」  「もしくは、ガム」  「そんな、のび太のパパが失敗した禁煙の仕方は嫌だ」  「確かに、のびすけさんが成功しなかった方法で、関さんが禁煙できるとは   全く思えないね。僕たちに、ドラえもんはいないわけだし」  竹田は、ふいに立ち上がった。  コーヒーカップを持っているところを見ると、おかわりでもいれに行くらしい。  俺の空になったコーヒーカップにも、体を曲げて手を伸ばした。  かがんだ竹田の頭が、ちょうど座った俺の頭と同じ位置になった時に、ふと  竹田と目が合った。  至近距離。  数センチ。  竹田が自分のコーヒーカップを、テーブルの上に置く音が聞こえた、と思ったら、  湿った感触が、俺の唇に流れた。  「……」  竹田の顔が離れた。  ペロリと、濡れた唇をなめて、竹田はニヤリと笑った。  「…のびすけさんは、こういった方法は試していなかったような気がする」  「確かに…タバコ、吸えないけど…」  俺は、ぼんやりとしながら、遠ざかっていく竹田の唇をながめた。  竹田は、何事もなかったかのように、自分のコーヒーカップと俺のコーヒー  カップを取り上げて、コーヒーをいれにいく。  俺は、取り残されてどうしたらいいのかわからない。  手持ち無沙汰なので、手の中にあった四角い箱から、新しいタバコを一本取り  だして、火をつけて、吸い込んだ。  「あ、関さん!」  「あ」  
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