[Reverb]
 テキスト学園の旧図書館は、廃墟同然の建物だった。  敷地内奥にあり、なかなか行きにくい場所にあること。敷地中央に去年できた、  新図書館が便利すぎて、誰ももうこの旧図書館に足を向けようとしないこと。  そして、すっかり老朽化し、窓ガラスがところどころ割れていたりするので、  今では館内に足を踏み入れる者がいないのが、理由だった。  ナミは、誰からも見捨てられた、その旧図書館で一人いるのが、好きだった。  ホコリのつもった床に、ポツンとある二脚のイスの片方に座り、新図書館に  いれてもらえなかった、古びた本を読む。もう、誰も生徒が来ないと分かって  いるので、職員さえもいないその図書館は、唯一ナミが一人になれる場だった。  寮でも学校でも、取り巻き達と、自分に反感を持っているもの、両方に監視され、  息がつまりそうだったナミには、ここで過ごす時間が、一番心安らぐ時なのだ。  学校が終わってから日が落ちるまで、そこで過ごすのがナミの日課だった。  ウォークマンから流れる音楽と、古い本と、ホコリとイス。  それ以外、そこには何もなかった。  ある日、珍しくナミは、昼にそこへ来た。  別に学校をさぼったわけではない。期末テスト期間のため、学校が午前中で  終わったのだ。  後輩といざこざを起こしたばかりで、少し気落ちしていたナミは、取り巻き達と  過ごすことより、一人になることを選んだ。ホコリくさい部屋で、一人で昼食を  食べ、そしていつもどおり、ウォークマンからお気に入りの音楽をリピートさせ  ながら、そこにある本を読んだ。一人になり、いつもの自分の行動をとることに  よって、今回のいざこざは自分には何の影響を与えなかった、と誰かに見せた  かったのかもしれない。  ――― …いつのまにか、ナミは眠っていた。  「……目が覚めたか?」  目を開けた時、ナミは、自分がまだ夢の中にいると確信した。  二脚あるイスの、もう一脚に、絶対自分の隣には座らないだろう人間がいたから  だ。彼は、ナミの前で見せる、いつもの苦々しい顔をして、一言「バカだとは  思っていたが、こんなところで寝るなんて、本当にバカだな」と毒づいた。  「…マサムネ先輩…」  とりあえず夢の中の登場人物を、確かめるように呼んでみると、マサムネは、  なれなれしく自分を呼ぶな、とばかりに、きれいな眉をひそめた。あぁ、夢の中  でも、この人はやはり俺が嫌いらしい、と、ナミはぼんやりと思った。  そんなナミに、マサムネは、イライラしたらしい。  「寝るなら、寮の部屋で寝ろ。帰れ」と言って、ナミに、床に放り出していた  カバンを投げつけてきた。  ぶつかったそのカバンの痛みに、ナミはこれが夢でないところを知る。  「先輩…一体どうしてこんなところに…」  「お前には関係ないことだ」  マサムネは、イスに座りなおすと、ナミを拒絶するように窓の方を向いて、本を  広げた。ナミは、居心地がすごく悪かったが、このまま立ち去るのも悔しかった  ので、同じようにイスに座りなおした。そして、ホコリまみれの窓の向こうを、  無意識に見つめた。  「あれ? …雪男先輩…と…健…じゃないですか、あれ?」  「喋りかけるな」  マサムネの声が、さらに硬くなった。  人気がないはずの、図書館の中庭に、雪男と健が二人で楽しそうに何か喋って  いる。マサムネは、興味なさそうにしているが、よく見ると、チラチラ窓の向こ  うを見ているようだった。ナミは、納得した。なるほど、この偏屈な先輩は、あ  の二人の仲を心配して、こんな誰もこない図書館に入ってきたのだ。  「…嫉妬ですか?」  ナミは、試すように、マサムネに囁いた。  窓に向かって、二つイスを並べて座っているため、横を向くとマサムネの耳が  すぐ側にある。  「何の話だ。お前お得意の、妄想か?」  「…雪男先輩と健、仲良さそうですね。捨てられたんですか?」  マサムネがカッとしたのが分かった。  少し怒りに燃えた目で、マサムネがこちらを向く。  「貴様…いますぐここから消えうせろ!」  「嫌ですよ。俺の方が先にここに来たんですから。それとも、この図書館は、先輩   の敷地ですか?」  すっかりマサムネの優位に立ったことを確信したナミは、マサムネの肩を掴んだ。  学ランを通していても、その肩が薄いのが分かった。これは…華奢というより、  痩せすぎだ。  「先輩…ちゃんと食べてます?」  「余計なお世話だ! はなせ!」  マサムネは、ナミの手を振り払おうとしたが、思った以上にナミの力が強くて、  ふりはらえない。  「…怯えてます? マサムネ先輩」  ナミのバカにしたような言葉に、マサムネはさらに抵抗を強くするが、やっぱり  ナミの手はふりほどけなかった。  「最近ちゃんと食べていないんじゃないですか? …俺の力でこんな簡単に押さ   え込めるなんて…。恋わずらいで弱っているんですか?」  窓の向こうで、健が笑う声が聞こえた。  ナミは、立ち上がって、マサムネをイスに押さえつけると、唇を強引に奪った。  「貴様……」  屈辱にまみれたマサムネの顔が、ナミの欲望をさらにエスカレートさせる。  マサムネを軽くからかうだけのつもりが、征服したい欲望に支配されてしまった。  頬に、首筋に、唇で順々にふれていくと、のど仏のところが、押し殺したような  うめき声があがった。「やめろ!」と叫ぶ声にも力が入らない。  マサムネが先ほどまで広げていた本が、床に落ちた。  「…いいじゃないですか。先輩」  力いっぱい抵抗しても、ナミの力にかなわない。  両手を使って押し返そうとすると、ナミは、その両手を右手だけで軽くつかんで、  マサムネをバカにするように、そこに口づけた。  「どうせなら、マサムネ先輩も楽しんでくださいよ」  「っ…!」  強引に床にひきたおされ、つもっていたホコリが舞った。  マサムネは、上から覆い被さってくるナミを、押しのけようとしたが、逆に両手  を床に縫いとめられ、ふとももの上に乗られてしまった。  「……っ!」  「…俺、先輩のそんな顔見るの、はじめてですよ。すっげー、ゾクゾクする…」  「これ以上何かしたら、暴行罪で訴えてやる…!」  「どうぞ。…男に強姦されました、って誰に言うんです?」  ナミが学ランを脱いで、今さっきまで座っていたイスに放り投げた。  「…あんまり騒いでいると、こんなところ、雪男先輩や健に聞こえちゃいますよ。   それとも、助けてもらいます? あの二人に」  「くっ…!」  多分、このプライドの高い先輩は、男に押さえ込まれているところを誰かに見ら  れるなんて、耐えられないに違いない。ましてや、男に強姦されました、なんて  死んでも言えるはずがない。ナミの思惑通り、マサムネは、唇をかみしめた。  今まで、ナミを見下してばかりいた瞳に、怒りと恐怖が浮かび上がっている。  ナミは、改めて首筋に唇をよせると、学ランでも隠せない目立つ場所に、キス  マークを刻み込んだ。  窓の外から、西日とともに、「健!」と呼ぶ雪男の声がかすかに、入ってきた。  それから一週間後、テキスト学園旧図書館の取り壊しが決まったことが、  全校生徒に知らされた。
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