冷たい朝
冬の朝、街路樹は葉を落とし、道路は凍結する。人は肩をすくめ足早に道を急ぐ。 こんな時は外に出たくはないものだと大抵の人間は思っている。 そう、恋をするもの以外は。 「ムネ、おはよ」 「ああ、ユキ、おはよう」 テキスト学園の通学途中の道路上では必ず見かけられる風景だ。ユキオがマサムネ の姿を見つけて走り寄って挨拶をする……二人の朝は寸分の狂いもなく毎回同じ挨 拶が繰り返される。それが二人の絆であり意志なのだ。 「今日は寒いねぇ」 「ああ」 「うん、寒い。ボク冷え性だし、手袋忘れちゃったしさ」 「じゃあ、手ぇかせ」 「あっ」とユキオは声を上げたが、マサムネは彼の左手を引っ張り自分のコートの ポケットに招き入れた。 マサムネが「こっちの方が暖かいだろ?」と少々照れながら呟いた。ユキオが「う ん」と頷いた。二人の頬が赤く染まっていたのは寒さのせいだけではないだろう。 「ムネ、今日は朝御飯食べた?」 「いや、くわねぇ……朝は弱ぇぇんだ、寒いし。ふぁぁ] マサムネは照れ隠しか眠そうな目を擦り、小さく欠伸をした。ユキオはほんの少し 嬉しそうに笑って、 「だと思って、ハイ、サンドイッチ」 「あ、わりぃ、でもユキの朝ご飯じゃないのか?」 「いいんだよ、ムネのために作ってきたんだから……」 「わりぃな」 マサムネは美味しそうにユキの手作りサンドを頬張る。ユキは思う、マサムネに愛 されてよかったと……そして愛してよかったと。己の愛を捧げるのに相応しい男の 子だと。 「マサムネッ」 毎朝の日課である見慣れない中学生が顔を真っ赤にしてマサムネの前にたった。最 近、中学生の間で「マサムネに喧嘩を売ると注目される」という歪んだ噂が横行し ているためだ。 「俺はあんたを倒すっ、テキスト学園切っての武闘派のあんたを倒して……」 「でもよーユキ、お前ほんとに料理好きだな」 「うん、ボクは料理ホントに好き……」 料理なんか好きじゃない、とユキオは心の中で呟いた。料理が好きなわけじゃない、 料理を美味しそうに食べるムネの普段は見せない笑顔が好きなのだ、と。 「誰かの過去を知っているとか、侍魂さん以前だとか、喧嘩上等だとか、お前なん  か……」 「で、今日の昼の弁当はなんだ?いつものヤツは入っているのか?」 「うん、もちろん……でもあれだね。ムネってなんでタコさんウィンナー好きなの?」 「あの形がな……いや、どうでもいいことだが」 マサムネはほんの少し頬を紅潮させ、ユキオの手をつかんで引き寄せ、「お前を 想像させるのさ」と耳うちした。 「ばかっ。バカムネっ、なんでそういうこというのさっ」 深水色の瞳に大粒の涙を浮かべ、頬を真っ赤に染めあげたユキオは、マサムネの 背中をポコポコとたたいた。 「オイやめろって、いてーよ、ユキ、わかったわかったから」 マサムネは笑いながらユキオを抑えるために背中から抱きしめ再度耳うちする。 ユキオは体を硬直させ押し黙った。だが、今度は耳まで赤く染めコクリと肯いた。 マサムネ曰く「ユキに何を言ったか知りたいだと? 人の情事までくびをつっこむ んじゃねぇ」と。 「お、おまえらっ俺を無視してんじゃねえっ」 さすがに中学生も自分が相手にされていないことに気付いたらしい。あっさりと 二人に通り過ぎられて半ば切れたように叫ぶ。 「このくそマサム……」 いや、正確には叫びかけた瞬間だった。ガギッと奥歯でも折れたような音とともに 中学生の体が2メートル先に飛んでいた。手を出したのはマサムネではない。 「キミがムネに喧嘩を仕掛けるのは自由……だけど、ムネを汚すような言葉をはく  ことはボクが許さない……それだけは決して」 ユキオは先ほどまでの可愛い男の子の顔ではなかった。深水色の瞳は氷のような 冷たさと鋭さを持ち、殴った相手を見下ろしていた。 マサムネが呆れたようにため息をはき、ユキオの頭をポンっと軽く叩いた。 「ユキは俺より手が早いんだぜ、いろんな意味でな……同情するぜ、厨房」 どうせ聞こえていないだろうがな、とマサムネは失神している中学生に心底同情 した。 マサムネに喧嘩を売れば注目を集める、事実だが、彼らは勘違いしている。テキス ト学園でマサムネの喧嘩は日常茶飯事であり、これくらいの相手では誰も注目しな いのだ。 また、マサムネは武闘派で非モテ系だが、それは彼を敵視する人間の言葉で彼のす べてをあらわす言葉ではない。彼を一言であらわすことのできる言葉、それは「や おい向き」であろう。そこには愛も憎しみも戦いも平和も……無論非モテ系という 響きすらも含まれている。 「ユキもいつまでも興奮してんじゃねぇ……」 言って、マサムネは興奮の収まらないユキオの肩に腕を回し、グイッと引き寄せる と頬に軽く口づけをした。 マサムネの喧嘩になれている周囲もこれには慣れてないらしい。あたりからどよめ きとヤジがわき起こった。801女学院の女生徒だけは音を一言も発さず食い入る ように見つめていたが。 「ば、ば、ばかぁぁぁぁぁっ、こんなトコでなにするのさぁぁぁ」 ……ほほう、こんなトコでなければいいというのか…… 周囲から二重の意味でため息が洩れる。 その日のテキスト学園で、二人は好奇だが暖かい視線を持って迎えられた。やや気 はずかしいとユキは思ったが同時に誇らしくもある。 下駄箱で靴を入れていて「よぉ、あっついなぁ、お二人さん」と声をかけられて、 頬を染めるユキである。 だが、みんなが暖かく二人を迎えてくれたことがユキは嬉しかった。そして「ムネ もそうだといいな」と思った。心が暖かかった。冷え性でも心が暖かいなら関係が なかった。 ただ、一つ気になることがあった。 マサムネと教室の前で別れた後、二人の男がまるで申し合わせたように次々にユキ オの肩を叩いた。そして異口同音に彼に言ったのだ。 「幸せそうで、良かったな」 ……あからさまに見下し、嘲りの籠もった瞳で。
続く
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