−お兄ちゃんの秘密−
 ちゆの家のお隣には、お兄ちゃんが住んでいます。カズヤさん、って言います。  お兄ちゃんといっても、血はつながっていません。近所のお兄ちゃんです。  お兄ちゃんは、ちゆと会うと、いつもにっこり優しい笑みを浮かべて、手を振って  くれます。中学生ぐらいにしか見えないのですが、もう高校2年生なんだよって、  お父さんがこの前言っていました。その後、あの猫耳が似合いそうな顔は、男だ  と分かっていてもドキドキしちゃうな、ってつぶやいて、お母さんにどつかれて  いました。  カズヤお兄ちゃんは、今ちゆが結婚したい人、ナンバー1です。  優しいし、爽やかだし、何よりも将来性もそれなりにありそうです。  結婚相手としては、申し分がないと思います。  というわけで、ちゆはカズヤお兄ちゃんとバージンロードを歩くために、積極的  なアプローチに出ることにしました。本当は、拉致して監禁というのも考えたの  ですが、今日の占いで、O型は「好きな相手の情報を徹底的に調べると、相手を  捕まえられるか、自分が捕まります」って言っていたので、まずはカズヤお兄  ちゃんの身辺を、徹底的に調べることにしました。学校は影武者に任せて、高等部  に乗り込むのです。ちゆ、頑張ります。  高等部は、たいして苦もなく乗り込めました。高等部には、ちゆのファンが多い  ので、楽勝です。授業を受けるカズヤお兄ちゃんがよく見えるように、木にのぼっ  て今日は過ごすことにしました。カズヤお兄ちゃんは、窓辺の席で、学ランを  きっちりと着ています。くらくらするほど爽やかです。  「カズヤ、お前、今日宿題やってきた?」  ふと、カズヤお兄ちゃんにしかけた盗聴器から、聞きなれた声が聞こえてきま  した。カズヤお兄ちゃんのお友達の、サクシさんです。ちゆはサクシさんが  何だか苦手なので、お喋りしたことはないのですが、何度か、カズヤお兄ちゃん  と一緒にいるところを見ました。学校でも仲良くしているみたいです。  「何? 今日もやってないの?」  「めんどくせえ。ほら、見せろよ」  「タダではやだよ。見返りは?」  カズヤお兄ちゃんは、大学ノートをピラピラとふりながら、サクシさんに向かって  ニコニコ笑っています。  「……またアレか?」  「わかっているじゃん」  サクシさんは、しょうがないやつだな、という顔をして、カズヤお兄ちゃんの  ノートを受け取ると、「了解、じゃぁ放課後に」と短く言って去っていきました。  ちゆには「アレ」が何なのか分かりませんが、すごくひっかかりました。  その後は、特にこれといって面白いことはありませんでした。  お昼休みに、隣のクラスへ行って、マサムネさんや田中さんと賭けトランプを  していたぐらいです。ギャンブル好きとは、少し意外でしたが、それすらも  愛せると思いました。ちゆは、カズヤさんのためなら、内職もいといません。  むしろ、カズヤさんのために、ギャンブルよりもっと面白いものを提供します。  放課後になりました。  カズヤさんは、サクシさんの机の所に行き、耳元に顔を近づけて、ボソボソと  何かを囁いています。盗聴器では拾えないぐらいの小さな声です。時々、「マジ  かよ」とか、「…それは嫌だ」とか、サクシさんの声が聞こえてきますが、会話  の内容は全くつかめませんでした。そして10分ぐらい密談が行われた後、カズヤ  さんが満足そうに微笑んで、先に立って歩きだしました。サクシさんが、その後を  気が重そうにだらだらと歩いていきます。どこへ行くのか知りたかったので、  尾行することにしました。  繁華街の裏通りにある、汚いビルの2階。どうやらカラオケBOXらしいのですが、  二人はそこに入っていきました。何もこんなさびれたカラオケBOXに行かなく  ても、繁華街にはもっときれいで、曲が一杯はいっているビルがあるのに。  お客さんもろくにいなさそうで、小学生のちゆにはちょっと入れなさそうな場所  でした。しょうがないので、そのビルの前にある、同じくさびれた喫茶店に入り、  二人が出てくるのを待つことにしました。  「ねぇサクシ…」  部屋に入ったらしい、カズヤお兄ちゃんの甘えた声が、盗聴器から聴こえて  きます。サクシさんの声は聞こえません。むっつり黙り込んでいるようです。  「…お前、女に人気あるわりには、変態だよな…」  「その変態に惚れているのは、誰だよ。ふふふ…」  「お前が俺に惚れてる、の間違いだろ」  盗聴器が、ガリッと音をたてました。どうやら、カズヤお兄ちゃんのYシャツの  胸ポケットに、何か当たったみたいです。パサリと衣擦れの音が聞こえて、  カズヤお兄ちゃんが学ランを脱いだ音だと分かりました。しばらくして、カチャッ  とタイルのようなものに盗聴器があたる音が響きました。  カズヤお兄ちゃん、Yシャツを床に脱ぎ捨てたみたいです。  ちゆは、喫茶店でオレンジジュースを飲みながら、盗聴器から聴こえる音に耳を  すませました。くすくすという、カズヤお兄ちゃんの忍び笑いと、何かサクシ  さんが「カズヤ…」と切なそうに呼ぶ声が聞こえます。一体カラオケBOXで  何をしているのでしょうか。歌が全然聞こえてきません。  「何も、こんなところでやらなくても、いいのに…」  「だって、公園のトイレは、足が痛くなるから嫌だってサクシが言ったんじゃん」  「そりゃそうだけど…。俺の家でもいいじゃん…」  「実家で、いつ親が帰ってくるか分からないところなんて、嫌だよ。それに、   サクシの部屋、汚いしさ…。僕だって、自分の部屋のシーツ汚すの嫌だし」  「でも最近ちょっと…プレイが変態じみてきてないか…? こんなとこ…誰かに   見られたら…」  「大丈夫だって。上にのっていい?」  ピチャピチャと水音がしはじめて、やっとちゆは、これはカズヤお兄ちゃんと  サクシさんが、深夜お父さんとお母さんがやっていることをしているんだ、と  いうことに気づきました。  それから2時間、盗聴器からは「あ」とか「ン」とか「やだ」とか、そういった  音しか聴こえませんでした。「もう一回」とか、「これで最後だから、もう一回」  とかという、カズヤお兄ちゃんの声も時々聞こえてきました。  801女学院のお姉さんに教えてもらった知識からいくと、これはサクシ×カズヤ  というやつなんでしょう。小学生のちゆには、ちょっと生きた性教育すぎます。  2時間ぐらいして、二人の衣擦れの音が聴こえました。どうやら、気が済んだ  みたいなので、部屋を出るようです。「最後に一応歌おうよ」と、カズヤお兄  ちゃんが、何か曲をいれはじめました。  「カラダを夏にして! 過激にサイ・コ・ウ!」  微妙に古い上に、今は冬です、お兄ちゃん。  ちゆは、喫茶店を出ると、お兄ちゃん達が出てくるのを待ちました。  狭い階段を二人で仲良く並んでおりてきます。  カズヤお兄ちゃんは、階段の下にちゆがいるのを見つけると、すごく驚いた顔を  しました。  「ちゆちゃん。どうしたの? こんなところで」  いつものカズヤお兄ちゃんです。サクシさんに甘えていたカズヤお兄ちゃんと  同一人物とは見えません。  「ちょっと道に迷っちゃったから、ここで休んでたの。お兄ちゃん達は、カラオケ?」  「そうだよ」  あっさりと嘘をついたカズヤお兄ちゃんに、ちゆはカズヤお兄ちゃんの腹黒さを  見ました。カズヤお兄ちゃんは、全く動揺を見せない笑顔で、ちゆの手を握り  ました。  「一緒に帰ろっか? ちゆちゃん。僕達も、もう家に帰るから」  「うん」  ちゆは、カズヤお兄ちゃんの手を握ると、サクシさんとカズヤお兄ちゃんの間に  入って、一緒に歩き出しました。  「…どうしたの? サクシ。何か不機嫌だよ?」  「別に」  サクシさんは、多分二人っきりで帰りたかったんだろうな、とちゆにも分かり  ました。カズヤお兄ちゃんも分かっていたはずです。分かった上で、そう聞いて  いるはずです。なぜなら、すごく楽しそうに笑っているからです。  ちゆが、少し申し訳なく思って、サクシさんの顔を見ようと見上げると、サクシ  さんのうなじに、すごく大きなキスマークができているのが見えました。あそこ  は、多分サクシさんには見えない位置です。  「サクシさん、ここ、大きな虫に刺されてるよ?」  一応、教えてあげました。  サクシさんは、少し動揺した顔をすると、学ランのエリをきっちりとしめて、  それを隠してしまいました。カズヤお兄ちゃんは、機嫌よさそうに鼻歌を歌って  います。鼻歌も先ほどの歌です。カズヤお兄ちゃんは、どうやら夏が好きみたい  です。  「ねぇサクシ、カラオケ楽しかったねぇ」  「……まぁな」  ちゆは、カズヤお兄ちゃんと結婚することは、あきらめましたが、カズヤお兄  ちゃんに翻弄されている、サクシさんを、応援します。
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