猫の恋
 文芸部の部室から、猫はふらふらとまろび出た。  ――知らなかったのだ。あれほど、他人を評価する、ということが、体力を 消耗することだったとは。  今まで猫は、愛・蔵太を嫌っていた。  だが、今は、純粋にすごい……と思う。  生徒たちの作品に関して、手加減を加えず、怒られようと貶されようと決し てへこたれない、彼。 「……あ」  廊下の角をまがったところで、猫は誰かにぶつかってしまった。  顔を上げると、先ほどまで、思いをめぐらせていた人物――愛・蔵太がそこ にいた。 「せっ……先生……」 「なにか?」  涼しい顔で訊ねられて、猫は少しだけ落ち着いた。 「申しわけないのである……」  耳を寝せてしゅんとして、小さな声でつぶやく。腹を見せるべきだろうか、 とも思ったが、廊下でそれはギャグなのでやめた。 「かまいません。では」 「あ、待ってください、であるっ!」  去って行こうとした愛・蔵太の背中に、猫は思わず声をかけてしまった。  声をかけてから後悔する。いったい、自分は、なにを言いたかったのだろう? 「あ……その」  しっぽがしゅんと垂れているのが、自分でもわかる。耳も自然と寝てしまう。 「我輩は……今まで、あなたを誤解していたのである。あなたは、偉大だった。  ――先生」 「過去形ですか」  疑問に思っているふうでもなく、ぽつり、と愛・蔵太がつぶやく。 「ち、違うのである! 我輩は、つまり」 「つまり、なんですか?」 「つまり、先生のことが好きなのであるっ!」  精いっぱい、身体をそらせて叫ぶ。胸を張ってヒゲもピンとさせて。  愛・蔵太は目を丸くした。しばらく、そのまま、じっと猫を見つめる。 「――ありがとうございます」  ぽん、と頭に手を乗せられる。 「……ぁ」  敏感な耳の裏をなでられて、猫はびくびく身を震わせた。  が、すぐにはっとして、首をぶんぶんと振る。  たしかに、ショタっぽいナリをしているが、これでも猫は攻なのだ。断じて、 ネコではないのだ。  猫はきびすを返して、脱兎のごとく逃げ出した。  いつか……いつか、攻めてやる!  そう、心に誓いながら。
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